村山談話・河野談話に未来はあるか?
第2回 それは「内閣の意思」である
「河野談話」が成立したのは1992年(平成4)8月。
いわゆる「従軍慰安婦」に対して謝罪する内容である。
「村山談話」は3年後の1995年(平成7)8月に成立。
第二次世界大戦の敗戦に至る日本の歴史を全部、
まるごと謝罪する内容である。
河野談話が「従軍慰安婦」という極めて個別具体的な
問題に謝罪しているのに対して、
村山談話には具体的な問題の特定が一切なく、
極めて漠然とした表現である。
そのため、とにかく日本が敗戦に至るまでにやったこと、
全てが悪かったから謝罪すると解釈できるようになっている。
他にも、河野談話が宮沢喜一内閣の官房長官の談話で、
閣議決定はされていないとか、
村山談話が村山内閣の首相自らの談話で、閣議決定
されているとかいう違いはあるのだが、
それはここではさほど重要ではない。
重要なのは、このようにして出された談話は「内閣の意思」
であり、河野洋平や村山富市個人の意見には留まらない
ということである。
もし仮にいま河野洋平や村山富市が悔い改めて
(まあ、絶対あり得ないことではあるが)、
過去の自分の談話は誤りだったと言ったとしても、
談話は取り消されることはなく、歴代内閣に引き継がれる。
一度表明された「内閣の意思」は、その後の総理大臣が
特に踏襲すると発言しなくても、明確に否定しない限り、
次の内閣に引き継がれる。
ましてや安倍首相は、河野談話・村山談話の継承を
はっきり明言しているのである。
禍根を残した張本人は、確かに河野洋平と村山富市である。
しかし、この二人だけを売国奴呼ばわりしても、
今さら何も状況は変わらない。
談話を継承し続けてきた歴代首相も河野・村山と同様の
売国奴であり、談話を明確に否定しない限り、安倍晋三も
売国奴なのである。
安倍晋三だけは、この二つの談話を継承しても許される
という根拠など何もない。
ましてや「戦後レジーム」の転換などと大風呂敷を広げた
からには、自虐史観を払しょくしなければ嘘であろう。